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あえてルネサンスに取り組む意味

定期演奏会を無事に終えて、綱川先生のヴォイストレーニングも本格的に始まりました。

次回演奏会(期日未定)ではパレストリーナのミサ、ブレヴィス。千原英喜「雨ニモマケズ」弦楽合奏版を中心にプログラムを組みました。これ以外に数曲ショートピースを考えています。

単純に現在メンバーが少ないこともあってルネサンスの巨匠パレストリーナに取り組むことにしたこともありますが、合唱の基本はアカペラにあります。
特にルネサンス期のミサ曲は名曲が多く、その中でも最も有名と言えるミサ、プレヴィスはアンサンブル・エテルナ第一回定期演奏会で取り上げた曲で、個人的に思い入れも大きい曲です。

ルネサンスの前の時代は中世です。
中世の時代は教会が全てを支配していて作曲者の名前がほとんど残っていません。
あえて言えばマショウくらいでしょう。

ルネサンスの時代を迎えて作曲家たちが楽譜に署名をするようになりました。
作曲家の誕生です。
それを促進したのは印刷技術の発達です。
この時代にヴェネツィアのペトルッチが商業的な楽譜印刷を始めたからです。

中世から続く定旋律での作曲法は変わりませんが、作曲家たちは自由に作曲をするようになってきました。
特に重要なことは長三和音を使い始めたことが大きく曲の雰囲気を変えていきました。
補足ですが、1337〜1458年までフランスとイギリスが百年戦争をしていました。
この時にイギリスの影響(長三和音の使用)がフランスに入ってきて完全音程だけでなく長短音程も
使われ始め響きが柔らかくなったと学術的には言われています。

話を戻します。
まずはパレストリーナを中心に練習を進めながら伴奏に頼ることなく歌えることを目指しましょう。
ある程度の目処がついたところで「雨ニモマケズ」の練習をスタートする予定です。

頑張って団員を増やしましょう。

演奏会まで一ヶ月

演奏会まで一ヶ月ですね。

みなさん、そろそろモチベーションを上げて本番モードに入りましょう。

大熊先生の やさしいけしき も来週で決定稿が上がってきます。
昨日の練習でも「雲」と「梢」の決定稿の練習をしました。

昨日の練習では やさしいけしきとケルビーニを練習しましたが、
音楽の質の違いは歴然でしたね。

やさしいけしきでは新しく音取りをしなくてはならない部分が多くて大変ですね。
でも、ちょっと考えて見て下さい。
音取りだから音楽の質が下がるのはおかしくないでしょうか?

昨日の練習で二曲のモチベーションの乖離感に正直、残念な思いを持ちました。
我々はアマチュアの団体ですから初見力が低いのは仕方がありません。
でも、歌うことの楽しさは変わりがないはずです。

委嘱作品を歌うことでのみなさんへの負担は良く理解しているつもりです。
昨日も説明しましたが、作曲家は最後まで良いものを作ろうとあがきます。
その中でタイムリミットもあるわけで、曲の上がりが遅くなれば、その負担は
我々に来ることは事実です。
しかも、我々はアマチュア団体です。

大変ですよね。

本当によくわかります。

でも、あえて言います。初演することの意義を。

曲は演奏されて、聴衆に聞いてもらうことで作品になるのです。
例えば、ある作曲家がたくさんの曲を残したとします。
でも、それらの曲が公に演奏されたことがなかったらどうでしょう?

演奏家も同じですね。いくら素晴らしい演奏をする能力があったとしても
聴衆の前で、その素晴らしい演奏をしたことがなければ演奏家ではありません。

曲は演奏されて初めて作品になるのです。

ちょっと大変ですが、初稿と改定稿の違いを見て下さい。
作曲家が悩みに悩んだ跡が見えます。
それを見ることができるのは、初演をする我々だけです。

来週の決定稿の到着を楽しみにする余裕を持ちましょう。

ちょっとお説教めいてしまいましたが、
昨日の練習は残念でした。

来週に期待します!

やさしいけしき改定版

全曲完成した やさしいけしきの改定版が、続々出来てきています。
曲の改定(変更)にとまどっている団員の方もいるでしょう。

作曲家は音楽家のカテゴリーでも全く別のものです。
なぜなら演奏家は楽譜をどう演奏するかが仕事であって、
楽譜がなくては何もできません。

一方、作曲家はゼロの状態から作品を生み出していくのです。

委嘱作品である 合唱組曲 やさしいけしきはゼロの状態から生まれてきたのです。
過去の作曲家も推敲に推敲を重ねて作品をを発表してしました。
今、大熊先生から届けられている改定版は推敲の結果なのです。

ぜひ、初校と改定版を見比べて下さい。
さらに曲のイメージが詩とつながってきている事がわかるはずです。

もしかしたら、せっかく音取りしたのに何で?と思っている方もいるかも知れません。
曲は生き物なのです。ましてや今度の演奏会が初演なのです。
作曲家は最後の最後まで改定を続けるかも知れません。

でも、それだけ作品を良いものにしようと努力しているのです。

演奏会まで2ヶ月を切りましたが改定版がくるという事は、さらに作品が良くなって
いるという事を理解してもらいたいのです。

これからも若干の修正は行われるでしょう。
でも、それは作品がさらに良いものに生まれ変わっていく事です。

改定版の到着を楽しむ余裕を持って練習に臨みましょう。

作曲家は全てが完成しても推敲を続けています。

それをお客様に伝えるのは私たち団員なのです。

やさしいけしき完成

やさしいけしきが全曲完成しましたね。
演奏会まで2ヶ月半、すでに完成している曲は、かなり歌いこんでいるので後半の曲の歌いこみに重点をおいて行きましょう。

やさしいけしきは委嘱作品のため詩の読み込みに時間を割くことが出来ませんでした。
これからは詩からのアプローチを心がけて行きましょう。

レトリックについては以前、説明しました。

次は詩に対してのアプローチについて。

先ずは、すでに歌いこんでいる前半の曲の詩を読んでみましょう。
どんな時でもいいです。
自宅でじっくり読むよりも通勤途中などの方が良いかもしれません。
不思議と、そういう時間の方が偏見なしに詩の意味が感じられたりするものです。

はじめはメロディーが浮かんでしまうと思います。
でも、あえて音楽から切り離して読んでみましょう。
新しい世界が見えて来るはずです。

作曲家が詩を読んでどんなイメージを持ってメロディーを作ったのかを想像できれば
しめたものです。

詩ありきの曲ですから、詩からのイメージを感じることが大切です。

特に歌いこみが進んでいる曲に関しては、思い込みが強すぎて、感情論に流されて
いる部分が多いことを理解してください。
音楽はマスターベーションでは意味がありません。

お客様に伝えるために演奏するのですから。

参考文献

詩を読む人のために 三好達治 岩波文庫
レトリック感覚 佐藤信夫 講談社学術文庫

音楽的に大きな流れが出来つつありますね

団員の皆さんはどう感じているでしょうか?

前回の日曜練習の時に僕が感じたのは、音楽的流れが出来てきた感覚です。
演奏会まで3ヶ月ですが、細かい事はまだまだ問題がたくさんありますが、
曲の流れが出来てきた事は大きな収穫です。

アマチュアの団体は演奏会まで長い時間をかけて音楽作りをしていきますが、
今一回目の波が来ていると感じます。

長いスパンでの一回目の山がこの段階できている事は中々良いペースです。

ここからは細かい縦のラインや音程の問題の克服が課題になります。
個々人での練習にかかる比重が高くなってきます。

自分で苦手なところは把握出来てきているでしょうから、いつも曲の全体を練習
するのではなく、克服すべきと事を把握して効率的な練習に努めましょう。

蓄積効果といいますが確実に効果が現れてきています。

音楽って不思議なもので自分で上手くいっているかどうかは自己判断は難しい
ものです。

客観的に練習録音を聴いて良い流れに乗ってきている事を感じてみてください。

それと仕事が忙しくて練習に参加でき無い方も多いですが、あくまでもアマチュアの
団体なのですから参加できる時に参加できれば、それで良いんです。

休団の方々も含めて都合がつく時に練習に来てくださいね。

一緒に音楽を楽しみましょう。

演奏の質と人数

昨日の練習は人数が少ないのに質の良い練習ができました。
指揮者としてとても嬉しく思います。

演奏の質と人数は比例関係に無い事は確かです。

でも、やはり人数は多いほうが良いにこしたことはありませんね。
例えばダイナミクスの幅は人数が多いほうが確実に大きくなります。
個人的な負担も少なくなり楽に歌える事もたしかでしょう。

演奏会へ向けて確実に練習の質が上がってきています。

これから演奏会へ向けて多くのメンバーの参加があれば、
さらに質の高い演奏ができる事でしょう。

そして、なんといっても、さらなるメンバーの確保は欠かせません。

中規模の合唱団をイメージして団員確保をしていきましょう。

より多くのメンバーがいればロマン派の中期までの作品はなんでも演奏できます。
人数を増やす事はレパートリーを増やす事に繋がり音楽の幅を広くしていきます。

いま私たちが演奏している高い質の音楽の幅を広げるためにも
多くのメンバーの確保に努めていきましょう。

練習と関係の話になってしまいましたが、
練習のみならずメンバー確保のモチベーションアップも大切だと
昨日の練習で思いました。

時間を決めて練習してみましょう

前回に引き続き練習方法について。

みなさんは一回の練習時間はどのくらいでしょうか?

今日のテーマは練習時間についてです。

毎日練習時間を取ることは中々難しいでしょうね。
かといってだらだら長く練習すればうまくなるものでもありません。

例えば1日15分でいいので毎日練習するのが理想的です。

興が乗ってきて長く練習したくなっても15分で止めてみましょう。
なんで調子が出てきたのに止めなくてはならないのかと思う方もいるでしょうね。

練習していて満足するまで練習できることはあり得ません。
ここで逆をついて、もっと練習したいと思っているところで止めると、
次の練習へのモチベーションが高まるんです。

あえて課題を残して次の練習であそこを練習しようとか、こう歌ってみようとか考えるのも
楽しいものです。

人それぞれどんな練習方法が向いているかは分かりません。
ただし、色んな練習方法を持っている人の方がマンネリに陥らない傾向があるようです。

これはちゃんと統計学的データがあるんですよ。

ぜひ、お試しください。

個人的練習方法について考えて見ましょう

普段、団員の皆さんは個人的にどのような練習をしているのでしょうか?

人それぞれ色々な練習方法があることでしょう。
それはアマチュア、プロ関わらず同じです。

幾つかに分類されると思いますが代表的なものをあげてみます。

1、出来ない部分を何度も練習する(これが一番多いでしょう)
2、全体を何度も練習する。(これは時間が必要ですね)
3、好きな部分を何度も練習する(これは楽しいと思います)

以上の3つに当てはまらない方法もあると思いますが、大まかにいって、この中のカテゴリー入っている方が多いでしょう。

正直いってどれも正解です。

ただし、演奏する予定がない場合ですが。

コンサートなどで演奏することを前提とすれば本番の期日があるのですから、それ以前にある程度の演奏が出来ていないといけないわけです。

というわけで、目標設定が必要ですね。

それは本番前の合宿にフォーカスしましょう。

あとは、本人の適正にあった方法で練習を地道にしていくだけです。

日本での練習方法はできないところを何度も練習するタイプが多いですが、外人はできるところをたくさん練習してできる範囲を増やしていく傾向がありますね。

性格的なものもありますが、せっかくなら楽しく練習した方が良いと思います。
楽しく何度も練習して、できないところをたまに突く程度で良いですね。

たまに学生で同じパッセージを何百回も練習している人がいますが、下手に何百回も練習していることがあります。笑っては失礼ですが、録音するなどして客観的に聞かないと、どんどん下手になっていく事がある事は、意外な落とし穴です。

たまにでいいので自分の演奏を録音してみてください。
お客さんには、そう聞こえるんですから。

やさしいけしき

大熊先生の合唱組曲 やさしいけしき がいよいよ第6曲目まで完成しました。

全曲で8曲ですから、あと2曲で完成です。

みなさん感じられていると思いますが、全体の大きな流れが見えてきましたね。

特に4曲目の梢には曲集を通しての山を感じます。ト長調のコードの上に乗ったメロディーは調性を目まぐるしく変えながら、最後は初めのト長調に戻ってきます。

さらにこのメロディーは大熊節と言えるもので、作曲家ならではの透明なもので、まどみちおの詩を引き立てています。

前回の練習で簡単に説明しましたが、作曲家は前半でレトリック表現(現実に無いものをあるように表現する技法)の詩を多用していますが、後半では、現実描写へと詩の選択を変えてきています。
意図的かは別として全体構成が非現実から現実へとシフトしてきているのだと想像されます。

大熊先生によると、あと2曲は静かに終わるか、壮大に終わるか悩んでいるそうです。
いずれにしろ、現実感のある終わり方になるように思っています。

そんな事を想像しながら練習しているだけでも、未完成の曲を演奏することの面白さを実感できると思いますよ。

楽譜通りに唄う難しさ

前回の練習では楽譜通りに唄う事について考えました。

そんな事は当たり前と考えてしまいますよね。
でも、実践できているのでしょうか。

これは疑問ですよね。

今の課題はsource(楽譜)からtransmit(送信)された情報をできるだけnoiseを排除してreceive(受信)してdestination(聴衆)に届ける事です。
transmitの後にはencode(記号化)があり、receiveの後にはdecode(解読)が行われます。
すでにencodeとdecodeで演奏と聴衆の間に齟齬が生まれるわけです。

解釈する事とnoiseをのせることは違いますよね。

特に大熊先生の委嘱作品では日本語のテキストなので感情をのせやすく楽譜の情報から乖離してしまう可能性が高いですね。

楽譜は記号化されたもので演奏されないと音楽にはなりません。
演奏する事自体が解釈だと思う人がいるかもしれませんが、はたしてそれは正しいのでしょうか。

ソルフェージュ(譜読み)テキストの解釈、両方からのアプローチは最終的に作曲家の意図に向かって行かないと意味がありません。

特に唄うという行為は感情論に走りがちです。

この問題は一考の価値がありますね。